6月28日・月曜日  帰国  (つづき)

 うまい事にっていいましょうか、まずい事にって僕は感じたのですが、医師も看護師もこの便には乗っていたんでした。
二度目の失神から横にされたままで5分ぐらいでした。まるでお医者様って口調で、それに声音も「まるでテレビに出てくる医者じゃん」みたいな、自称循環器系の医師だという40代半ば前後の男性がやってきました。まあ、彼は本物の医師らしく、僕の右脇に跪いたかと思ったら質問を浴びせてきます。ただ、それが僕に質問しているのか、先ほどから僕を介抱してくれているパーサー達に尋ねているのか、目の見えなくて床に寝かされたままの僕には判断しかねるものでした。で、彼の質問に何も答えずに黙っていたら、
 「この方は何時から意識がなくなってるんですか?。」と、今度は明らかにパーサーに尋ねているのがわかりました。それで、パーサーが答えるよりは僕のほうが正確に答えられるのではないかと思った僕は、
 「いや亜・・、意識はずっとありましたよ。今もあります。」と目をつぶったままで、床に寝たまま答えました。
 「あっ、ああ、話せるんですね。」驚いてはいるんだろうけど、その愕きを表に出さないくらいの経験を積んでいるらしい、僕の右脇に跪いている医師は、
 「じゃあ、自分が倒れたことも記憶してるんですね。」と聞いてくる。
 「いや、通路を歩いていたことと、床に寝ていて皆さんが介抱していること、それに、二度も床に寝ていることは記憶していますが、倒れるところは知りません。」と僕は、はっきりと答えました。この表現は医師のプライドをつついたようでした。
 「そうですか。」と短く言ってから、一連の既往歴から日常状態、現在の気分、それに聴診器で心音を聞き、血圧を測る前に、
 「日頃血圧を測定したことはありますか?。」ときました。
 「はい、健康診断では、『歳相応のやや高目の血圧ですが服薬するほどのことではない。』といわれています。」と、日頃の高血圧な値などはおくびに出さず、平然と答えました。
 「そうですか、と歳相応にやや高目の血圧ではあるが、正常値という事ですね。」と僕の口調を繰り返しながら颯爽と(いや、案外迷惑だったのかも?。彼の声には緊張感がみなぎっていたもの)したふうの、自称循環器系の医師は、僕の右上腕にまんしぇっとを巻きつけ、血圧を測りだしました。手の振るえこそ見せなかった、自称循環器系の石の手さばき、特にも、マンシェットの下に聴診器をくぐらせようとする単純作業に二度、三度繰り返していたのは、やっぱ、僕との遭遇は彼にとって迷惑なことだったにちがいありません。
マンシェットの下に聴診器を固定する単純な作業に二度、三度と時間をかける自称循環器系の医師が測定した僕の血圧値は、100/70と言うものでした。この数値を自称循環器系の医師から知らされた僕は、『ああ、ただの迷走神経緊張の脳貧血じゃん。』と、今回の失神の原因が推測されました。
この血圧値は日頃健康な病人を多く診慣れている医師には、平常心を取り戻すくらいの力はあったようでして、やや高温な、しかも早口で、矢継ぎ早に質問と自身を納得させるうなずきの口調に変化が現れました。
 「血圧は大丈夫ですね。」と、自称循環器系の医師は言う。そして、僕は思う。
 『おい、おい、待てよ。何が大丈夫なものか、こりゃあ低すぎるよ。」と。だって、日頃の僕の血圧は、100/180を中心に10mm/hgの上がり下がりがあるのに、この70/100の血圧が大丈夫ってかい!?。どうして日頃の血圧値も尋ねないで、「大丈夫ですね」なんて、床に寝かされている、一応緊急患者である僕に対して言えるんだい。還暦を迎えた現代人において、自身の健康状態を把握するのは今や常識となっていることも、この自称循環器系の医師は認知していないのだろうか。いや、待てよ、日常の臨床ではこんなミスは犯さないはずだ。だって循環器系の医師ですと、こちらが尋ねていないのに話すくらいの医者様なんだから、やっぱ彼は、緊張していたんだろう。
 それから自称循環器系の医師は、
 「健康診断で何か問題があったことは無いか」とか、
 「タバコはすうのか」、
 「いや、諏訪ない。」と答えた僕に、
 「何年前からやめたんだ」とか、
 「やめる前には一日何本ほど吸っていたのか」などと、この僕の湿疹は、心臓の異常からきている事を見つけ出そうとしている意志がわかるような質問を浴びせてきます。
仮にも医療関係に従事している還暦を迎えた僕は、歳相応に自分の健康管理はやっているらしいことや、還暦を迎えた程度の病的ではないが健康的でもない事を匂わす程度の応答は出来ました。その間に自称循環器系の医師は血圧をもう一度測定しました。値は、80/135です。医師には満足できる数値だったはずです。が、僕にとっては、未だやばいかなみたいな数値でした。そうです、日頃の100/180の血圧値が健康な僕なんですからね。
で、質問の締めくくりに、彼の観察眼の鋭さが示されているような言葉が、自称循環器系の医師の口から発せられました。
 「あなたは先ほどから目を閉じたまま、『大丈夫です。大丈夫です。』とおっしゃっていますが、どうして、目を閉じている状態が大丈夫なんですか?。」と。僕は、『オッ、さすが臨床医である事を確証させる鋭い質問。この、絵にかいたような、テレビドラマに登場するような態度の医師だが、まんざら捨てたものではないのかもしれないな』なんて感心しながらも、こんな事を言わせられるなんて不愉快だなんて雰囲気を、自称循環器系の医師に少しだけ感じられるくらいに、
 「ああ、僕は視力障害者でしてね。それで自然と目が閉じてしまうんですよ。」と、閉じていた瞼を目一杯開いて言いました。
自称循環器系の医師には、この目を目一杯開いたのが効果的だったのか、視力障害者だという事が効果的だったのか判断つかないが、彼の鋭い観察眼は、鋭いようでも上っ面しか見ていないんだと、自称循環器系の医師に思わせるには充分な効果があったようでした。
一つミスったと彼が感じたかどうかは知りませんが、
 「それでは、点滴しましょう。点滴、備えてあります?」
 「ええっ、ただの貧血じゃん、点滴なんて仰々しいことやんのかい。」と、いささか面食らってしまった僕は、同時に彼をからかいすぎた事を反省したしだいでした。
 結局、パーサー達が食事の世話なんかをする隣の通路の床に、飛行機が進んでいる方向に対し直角に交わるみたいに寝かされた僕は、それから一時間半ほど点滴を受けていたのでした。
 寝かされていた床はとても寒く、ブランケットを三枚も重ねなければならないほどでしたが、うとうとと気持ちよくなっていたんです。そんな状態に、あの自称循環器系の医師が再びやってきました。
 「どうですか?。気分は良くなられました?。」と、尋ねる医師に、僕は、
 「お世話になりました。おかげさまで、もうなんともないようです。」と答えます。
僕の顔色が元に戻っていたのか、口調が元気そうな感じを与えたのか、自称循環器系の医師は、聴診器で心音を聞くでもなく、脈を摂るでもなく、無論血圧なんかは測りもしないで、
 「ああ、それは良かった。もう大丈夫みたいですね。この瓶は、後何時間ほどで成田に到着するんですか?。」と、今度も、僕にだか、パーサーにだか判断できない方向に向って質問してきます。で、ちょっとの間のあと、パーサー(この声は、僕の担当のパーサーの声です。いやあ、いい声なんですよ)が、
 「後二時間半ほどで成田に到着いたします。」と答えます。
 「そうですか、それじゃあ、どうしましょうか?。このまま床に寝ていますか?、それともシートに戻られますか?。」と、多分僕に尋ねているんだろうとは思えるんですが、声のする方向からは、いったい誰に話しているのか判断できない方向に、自称循環器系の医師は、やっぱり話します。
勿論、こんな床で寝かせられ、公衆の目にさらされているよりは、自分のシートに座っているほうが、精神的にも、肉体的にも良いに決まってます。僕は、自分のシートに戻ることにしました。
 窮屈で、ヘッドレストの位置がどうにも気にいらなかったシートでしたが、床に寝かされているよりはよっぽど気分が良かったんですね、シートに座った僕は、そのまま深い眠りについてしまいました。パーサーの声で覚醒したときは、着陸30分前でした。