断食道場 1〜16

     「断食道場?」   16

 それほど落胆した風ではない様子で、患者さんは帰っていきました。そんな患者の様子が、無力な僕にとっては、せめてもの慰めになりました。

先が見えない闘病生活をおくっている者に、事実を隠した安易な励ましはできないし、かといって、正確な予後診断もできないから、身辺整理をすべきだと言う事もできない。そんなジレンマを味わっていたら、何だか無性に腹が立ってきた。
 この患者に、僕のところへ行くように薦めた鍼師も、断食道場に出入りしているんだ。
そして、この患者さんも食養家に薦められて断食道場に通ったんだ。
もしも断食道場が無かったなら、この患者もあの鍼師に出会う事は無かったんだし、僕がこれほど無力感を味わうことも無かったんだ。
そうだ、今回の事件の僕にとっての諸悪の根源は、断食道場じゃないか。断食道場さえ無かったら今日の事は無かったんだ。なんて、まるで見当違いな結論を引き出し、その日の僕は、どうにも仕様の無いやりきれなさを、胸に納めました。

 「断食道場?」の13回目の書き込みで、僕が断食に持っているイメージを話しましたが、断食療法は元気な病人が行えば良い結果を得られるんだと思う。病勢が強過ぎ、余命いくばくとか、東洋医学で言うところの「胃の気」の脈が無い者は、トライするべき療法ではないんだと思う。
メタボとか、生活習慣病で苦悩している者にとっては救世主となり得るであろうが、口にした食物を消化吸収する力が無いまでに衰えた者にとっては、トライする療法では無いんだと、僕は考えています。
死の転機を迎える病気に奇蹟は全くおこらないとは言いませんが、奇蹟と言うのが、そう頻繁に起こるはずがありません。そんなに頻繁におこってしまうんなら、それは奇蹟とは呼ばれないでしょう。
人生の大半をがん治療の臨床に関わった西洋医が、
 「どんな療法でも1000人に一人ぐらいは治ってしまう奇蹟があるんですね。だからと言ってその療法を肯定し、臨床に使うわけにはいかないんです。」と語った言葉があります。民間療法の域を脱していない未熟な僕には、ヘビーな言葉でした。全くそのとおりだと思いました。1000人に一人ぐらいだから奇蹟かもしれないが、「奇蹟の・・・・療法」類の書籍の多いこと。氾濫していると表現したほうが的を得てるほどに巷には溢れています。
その内容ときたら、「癌が治った!」、「難病が治った!」等の、わずかな(せいぜい10件程度)治癒例を紹介し、読者にも奇蹟が起こり得るような印象を与える物ばかりであります。不思議なことに、治らなかった例はほとんど記述されていない。先の意志の話しからすれば、一人の治癒例に対し999人の無効例があるはずなのに、それについては何も記されていない。
 僕は、断食療法を含め、全ての民間療法を否定するものではありません。1000人に一人ぐらいしか奇蹟が起こらなくても否定はいたしません。それは奇蹟なんて大それた事を起こせはしなくても、ペインに関してはそこそこ軽快させることも出来るし、奇蹟とはいえないまでも、現状維持で患者のクオリティライフの向上の手助けを、1000人に一人しかできない民間療法も、それはそれで医療と言う領域には必要なものだと考えるからです。
ただ、問題なのは、断食道場を含め諸々の民間療法を病人に薦める立場の人達、民間療法を施す側にいる人達の、その療法の力の正しい認識であります。
僕一人が感じていることかもしれないけど、民間療法にたずさわっている人々の、自分が行う療法に対しての力の過大評価があるように思う。自信を持って対処する事は大切なことではあるにしても、民間療法従事者のそれは、ちょっと行き過ぎではないかと感じることが多いんです。己の力を正しく認識し、患者の病状の正確な把握の上で、はじめて薦められるべきものが民間療法であります。1000人に一人の奇蹟さえも実践した事が無い者が、患者の予後判定もできない者が、安易に薦めるべき療法ではないと、僕は今、この考えに到達しています。

        おわり。

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    断食道場?  15
     
   
 患者さんは、途中、「へえー」とか、「ほほう」とか、「なるほど」などとあいずちを打ちながら、僕の長い話しを聞いてくれた。そして、
 「それで・・・・、私の場合は・・・、断食をやって良かったんでしょうか?」と質問してきた。
 「ええ・・・、うーん・・・・、今日のような脈をうっているならば、僕は断食をすすめません・・・ね。だから・・・、今日の脈を診た限りで言うんですが・・・、今回、つまり、三度目の断食は・・・、あなたの身体にとって良い影響を与えたとは考えにくいようなんですね。・・・・まあ、未だ一度しか診てない者が断言するのは早計なんですがね・・・。だから・・・、もう、断食は・・・、やらないほうがいいんじゃないんでしょうか。」と、歯切れの悪い答を、僕は言った。
 「うんうん・・・、うんうん・・・、うん。」と、患者さんは一人でうなずいて、10数秒の沈黙のあと、
 「この1、2ヶ月なんですね。 ・・・・、この時期の養生しだい・・・、あるいは経過しだい・・・・ですね。私の今後・・・が、・・・・はっきりするんですな・・・。うん。」と、間を撮りながら言った患者さんの声が、何かひっかかっていた物が取れたように、晴々とした感じに聞こえました。そして、また、10秒ほどの沈黙のあと、
 「来年、一月に・・・、孫が・・・、初孫なんですがね・・・・生まれるんですよ。・・・見られますか?」と、質問した患者さんの声は、先ほどの晴々した声とは違い、今度は曇って聞こえた。
 「うーん・・・。せめて、週に一度くらいですね、診察できていれば、・・・うん。・・・過去の経験ですなんですが・・・、一ヶ月、二ヶ月の間にがらっと、様態が変化した人を何人か診ているんでして・・・、申し訳ないんですが・・、現時点では、『大丈夫ですよ。』と、答えられないんです・・・。」と話しているうちに、『これじゃあ、希望がないんじゃないか。駄目ですよって言ってないだけで、患者さんに希望の光を見させるくらいの言い回しができないんか、お前は。ちょっとした希望を持たせるのが積荷はならないんじゃないか。』と思いが僕の中で膨らんできた。
が、やはり、
 「大丈夫でしょう。お孫さんの顔を見られるでしょう。」なんて無責任な事はいえなかった。

   (つづく)
  
  
   
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    断食道場?   14
    
    
 まず、断食の目的みたいなものについて話した。もちろん、患者さんが行った断食についてです。
食事療法から診る病気の原因は、食べ過ぎによる体内えの栄養分の蓄積過多と、小腸、大腸の宿便の蓄積から起こる血液の汚れであると言うものが根管をなしています。平たく言えば、食い過ぎによる血の汚れと、古い弁のかすが腸壁を汚しているのが原因で病気になるんだと考えているわけです。確かに、周りの病気を見てみますと、これが原因だと思えるのがほとんどであります。そして、断食を行って病気から開放された人も沢山知っています。まるで、奇蹟のように快復した人の話しも聞いています。(でも、奇蹟のような快復の話しは結構聞きますが、僕は、断食療法で実際に奇蹟を体験した人は、未だ見ていません。残念ですが。)食べすぎで病気になったんだから、食べない断食を行えば、病気が良くなるのは当然で、理解できるものだと思います。
それで、断食を行うんですが、断食という言葉からくる印象ほど断食は苦しいものではありません。3、4日ぐらいは軽くこなせるものです。問題は、断食あけの食事です。確かに、体調も良くなり、食欲も大変旺盛になりますので、またまた食べ過ぎてしまうことです。食事療法の基本は少食(腹6文目)です。そこでたいがいの人は元のもくあみ、体調が悪くなります。
それから、断食中に、どうしても普通食を食べなくてはいけない状態になってしまった時の問題があります。断食直後に普通食を摂りますと、胃や腸の粘膜に与えるダメージは莫大なもので、これで命を落とした人の話しも聞いております。そのようなアクシデントを避けるのに良いのが、この患者さんが行った、玄米による半断食です。一日二食、ごま塩を振りかけただけの一合の玄米を二回に食します。それと半椀のぐなしの味噌汁、これだけの食事で1週間ぐらいやるんですが、人によって長短がああります。また、その指導者により、漬物や、ぐ入りの味噌汁になったり、完全断食が一日あったりと、多少の変化がありますが、基本は少量の玄米と、味噌汁という食事をとり、一口200回の咀嚼を行うというものです。この方法ですと、断食途中、あるいは断食あけに普通食を食べても、完全断食を行っている際の普通食を摂取した時ほどのダメージはないのです。
それで、断食療法は、食べすぎで病気になった人に効果があるんですが、いくら食べ過ぎによって病気になった人でも、まだまだ体力がある人が行って、はじめて効果があるんだと僕は考えています。僕達が診る胃の気の脈象が、硬くなってきて、弾力がなく、艶もないような胃の気の脈をうつ人には、むいていない療法だと考えます。
上記のような胃の気の脈をうつという事は、摂取した食物の精気を吸収する力がないという事です。そのような状態の人に、負荷の大きい断食療法などは、奇蹟を起こすどころか、むしろ死期を早めてしまうような気がします。
断食療法は、表現がおかしいんですが、元気な病人がやるものだと、僕は考えています。そうです、まだまだ生命力の旺盛な、胃の気の脈がしっかりしている人の治療法だと思います。
     
    (つづく)
    
    
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   断食道場?   13
  
患者さんは、少しのあいだ考えて、再度質問してきた。
 「先生、断食はほんとにいいんでしょうか?」
予想もしていない質問だった。患者さんは、断食が良いと信じて、住居地から1000Kmも離れた断食道場に宿泊したのではなかったのか?
 「えっ、ええっ?」と、僕は、言葉にならない言葉で質問してしまった。そして、
 「あなたは自分の意志で断食道場に行かれたんではないんですか?」と、たずねた。
すると、患者さんは、C型肝炎と判明してから現代医療を受療していたが、徐々に進行していく肝機能の低下と体調不良のため、4年前から有名な食養家の指導を仰ぎ、食事療法とか、その食養家の販売するサプリメントによる自然療法(?)を実践してきたのだそうである。ところが、1年半ほど前、その食養家から断食道場に言ってはどうかと薦められたそうです。半信半疑ではあったが、信頼する食養家の薦めだったので、3ヶ月に二週間の断食を3回行ったのだが、二回目終了後あたりから腹水がたまり、断食道場の手当てでも腹水が少なくなる気配が感じられなく、今回で3クールの断食療法は終了したのだが、どうもすっきりとしない、身体も今ひとつ軽くなった感じもなく、気持ちもすっきりしないと、患者さんの現在の心境と経過を詳しく話してくれた。
 「断食を行われてから、からだが軽くなる感じなど、何か良い徴候は感じられなかったんですか?」と、僕はさらに質問してみた。
 「うーん、・・・・・二度目を終えた時かな、いい感じでしたね。力が出てきたような、そんな感じがしましたね。」と話してから、
 「道場の皆さんは『良くなってきた、よくなってきた。』って、言ってくれるんですがね、どうも私には、皆さんが言ってくれるほど、からだが調子よくなったって実感がないんですよ。」と、話しをくくった。
 「ふうーん、で、あなたは『断食ってのは良かったんか?』という疑問があるんですね。」と、僕は念を押してみた。
 「ええ、まあ、『この後におよんで』みたいで、なんなんですがね、・・・・・正直言って、少しばかり、そんな気持ちがあるんです。」
 「ううーん・・・・・。」1分ぐらいの間だったが、患者さんの正直な話しにたいし、僕も正直に答えなくてはいけないと、下腹に気を充実させ、断食に対する僕の考えを包み隠さず話そうと腹をくくった。
   
    (つづく)
   
   
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     断食道場?   12
     
 患者さんは、僕の話しが終わるまで、黙って聞いていた。そして、
 「では、まだ、1、2ヶ月は生きられるということですな。」と言い、
 「では、その、2ヵ月後はどれくらい生きられるか、先生はわかるでしょうか?」と、質問した。
 『そうなんだ、患者の知りたいところはそこなんだよな。あと、どれくらい生きられるかってのが一番気がかりなんだよな。この患者さんは、肝臓癌の為に1年以内には死亡するぐらいのことは予測できるんだが、1年以内でしょうなんてはっきり言って、落胆のあまり、帰りに自殺でもされたんじゃかなわんしな。』なんてことを考えつつ、
 「ええ、そこのところが一番お尻になりたいところなんですよね。正直に言いまして、今日の段階では、さきほど話したぐらいしか言えないんですよ。あなたの身体を診るのは初めてですし、現在の状態になる経過も、お話しをうかがっただけですしね。ですから、現時点で僕がいえることは、ここ、1、2ヶ月ぐらいの経過を診れば、ある程度の予後判定が言えるんですがね。申し訳ないんですが、そうなんですよ。」と、僕は答えた。
     
     (つづく)

    
    
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    断食道場?   11
   
    
 この経験は、「ガンの告知はすべきである」という確信を、僕にもたらしました。ガンの告知は、死の宣告に匹敵するのが一般的であり、そして、その告知には、多大なエネルギーが必要となります。それに、告知される側も、告知する側も、同等の苦渋を味わなければなりません。でも、患者のクオリティー オブ ライフを考えれば、告知は必要だと、僕は確信しています。そんなわけで、僕は冒頭の患者さんの診察を行ったのです。
 本患者の紹介者である鍼灸師は、「胃の気の脈が無い」と話していたが、嬉しいことに、それは誤診でした。胃の気の脈は、僕の指腹には触れたのです。普段の治療室で診る患者さんの胃の気の脈と比べれば、力も弱く、柔軟さに欠けた堅い脈で、艶もあるとはいえないものでしたが、胃の気の脈は、はっきりと僕の指腹に触れることができました。
 この様な形状の胃の気の脈をうっていた患者さんを、過去に三人、僕は診ていました。うち二人は、この様な胃の気の脈を診た後、二ヶ月前後して、突然胃の気が弱りだし、二ヶ月以内に死の転機をむかえました。あとの一人は、ずうっと同様な脈状の胃の気をうち、死ぬ一ヶ月前ぐらいから弾力のない堅さが増し、艶がほとんど無い脈状になり、死んでいきました。この形状の胃の気を診てから七ヶ月目でした。この三人は、共に、肝臓癌でした。
この過去の記憶と、患者の現状から、楽観はできないが、あきらめるには早計であること、僕達東洋医学に従事する者の、予後判定のよりどころとなる胃の気の脈のことを説明し、ここ1、2ヶ月が、患者さんの予後の吉凶がはっきりする、非常に重要な時期となるであろうことを付け加えた。
   
     (つづく)
   
   
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断食道場  10
  
    
 「肝臓かあ。」って、それで全てが理解できた様にでしたが淋しげに、呟くように言いました。
と同時に、それまで強く握っていた僕の手首から自分の手を離してしまいました。まるで人生の幕引きが済んでしまったように、すーっと力を抜いて離してしまいました。
おそらく、「肝臓」の一言は、その時の親父の身体の状態を親父自信に理解させ、納得させるものだったんでしょう。そして、親父は黙ってしまいました。
親父は七人兄弟の下から数えて二番目の、四男三女の四なんでした。その男兄弟で戦死した三男を除いて二人が肝臓癌(肝硬変)で死んでいます。そして、数年前には甥(僕にとっては従兄弟)の一人が
49歳の若さで肝臓癌で刺にました。ですからこの様な家族暦を持つ親父にとって「肝臓」の一言は「死ぬ」と同意語だったのかもしれません。勿論、親父への「肝臓が悪い」の告知は、親父に対して死の宣告となるだろうぐらいのことは僕にもわかっていました。が、親父の、「俺はどこが悪いんだよ?」の一言は、親父をとりまく者たちが知っていて、当の本人だけが知っていないなんて、もしもこれが僕だったら死んでも死にきれないほどのやりきれなさがあるだろうと感じさせたのでした。親父の胃の気の脈が無かったことも僕のそのような感情をプッシュしたと思います。
 『多くを話す必要はないんだ。肝臓が悪いと知れば全てを理解する
はずだ。そうだ、もう時間がないんだ親父には。死ぬ前に片付けておくことも、自己の意識をこぶし、最後の幕引きの心積もりをしなくてはならないだろうし、長年連れ添った妻えの感謝なんかも示したいはずだ。そのためにも親父に話すべきなんだ。』の、そんな僕の思いが、一瞬でしたが、僕に死の宣告に匹敵する告知をする力を与えてくれたようでした。
 その一週間後、前述の経過をたどり、親父は死にました。
  
     (つづく)
   
   

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断食道場  9 
  
  
 僕の身体を親父の口もとにちかずけさせ、
 「俺はどこが悪いんだい?」と、以前ほどではなかったけれどまだまだ力強い声でしたが不安そうな感じで、僕に聞いたんです。
 『ええっ、親父は何も知らなかったのか、ああそうか、兄貴は俺に言ったとおり、親父には何も話してなかったんだな。』と、親父が肝臓癌だとわかった一年前に兄貴と話したことを僕は思い出しました。それはこんなものでした。
僕が物心ついてから記憶している親父の現代医療に対する不信、嫌悪と言ったものは大変なものでした。何かにつけては「医者に行けば殺される」とか、「薬は毒だ」などと言い続けていたくらいです。こんなエピソードもあります。僕の大学時代だったと記憶していますから、おおよそ37ねん前ぐらいだつたでしょうか。高さ3mほどのところから落っこちてかかとの骨を骨折したんです。腫れあがった足、骨節からくる痛みが尋常でなかったんだと思います。あれほど嫌っている病院に診察を受けに入ったそうです。診断はかかとの粉砕骨折で、急遽入院、手術と決まったそうです。そのまま入院だったそうです。医師の都合で手術は翌日になりましたが、どうやったのか判りませんが、親父は寝巻き姿のままタクシーを拾って家に帰ってきてしまったんです。
現代医療に対する嫌悪と言うか不信をこれほど強くもつ親父に、全てを話しても使用がないんじゃないか。何も知らせないで好きなようにさせた方が良いんじゃないかと提案した兄貴の考えに僕も
 「それが一番良いんだろう」と賛成した。だったんだが、この親父の、未だ力強くはあったけど不安そうな声、
 「俺はどこが悪いんだよ?」を聞いた僕は、兄貴と僕の決定は間違っていたことを悟ったんです。そして僕は、
 「とうさん・・・・、肝臓がね・・・・、悪いんだよ。」
と、言いました。
     
     (つづく)
  
    
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断食道場 ?   8
    
    
「どこか揉んでほしいとこないかい?」と言った僕に親父は、
 「別にないよ。大丈夫だよ。」と答えました。
大正生まれの男親なんてのはおおよそこんな者でしょう。息子の前では弱みは見せたくないんでしょう。親父を見舞う前日の母との電話で、
 「太腿まで浮腫みが有るためか足がだるいと言って、私に揉ませるんだけど、きりがなくて疲れちゃうよ。」と聞いていた僕は、自分の手の震えに気付かれないよう、親父の足を揉もうと気力を込めて親父の足に触れました。
親父の足の浮腫みは予想以上のものでした。まるでゴム長靴のように大きくなって、熟れすぎた枇杷(びわ)の実の様な感触の浮腫みは弾力がまったくなく、指で押せば指痕はもとに戻らずへこんだままで、そのような浮腫みが太腿を過ぎ下腹部の1/4ぐらいにまで上っており、ゴム長靴状態に浮腫んだ足背の為か、足の指の長さなどは通常の1/3程度に感じさせられるほどでした。
そんな親父の浮腫んだ足を揉んでいる時でした。親父が、
 「・・・・、ちょっと、こっちえ来てみい。」って言いました。それまで黙って揉まれていた親父の言葉があまりにも不意であったので、 「うん?なに?」と僕は、親父の足を揉んでいる手を止めずに身体を親父の顔にちかずけました。すると親父の手が揉んでいる僕の手首をつかみました。そして、再度親父は、
 「もっと、こっちー、来てみょーよ。」と言って、僕の身体を親父の口もとにちかずけようと、親父が掴んだ僕の手首をぐいっと引いたのでした。不意の出来事でしたけれど、その親父の力の強さは意外でした。 『ええっ、これじゃあ、まだまだ大丈夫かな?』と、一瞬思ってしまうほどでした。
    
     (つづく)
  
  
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断食道場 ?    7
    
   
 消灯後、こっそりと呑んだといっても入院中のことです。やはり見つかってしまいました。健康の為に(?、親父は入院しているんですがね)とか、眠れないものだからとか、色々言い訳したんでしょうが、その夜の担当看護師の立腹は相当なものだったと思います。担当医師への連絡、そして指示を仰いだ看護師は、
 「眠れないときはお薬もあるんですから、相談して下さい。」と言いながら、「眠れる」注射をしてくれたそうです。
 注射直後に親父は眠ったそうです。翌早朝、いつもなら覚醒する頃なのに目覚めない親父を不思議に思ったおふくろが親父をみると、何か様子がいつもと違って見えたので看護師を呼んだそうです。親父の血圧が20〜40に下がっていたそうです。同居していた兄貴の家族が駆けつけてから、虫の息だった親父が、
 「・・・・ありがとうよ・・・・。」と兄貴につぶやいたそうです。そして、息を引き取ったそうです。
この話しを聞いた僕は、入院した親父をみまった一週間前のことを思いだしました。
  
 親父が入院したとの連絡を受けた僕は、頻繁に腹水がたまるようになったことや、歩行が困難になってきたことなどから、これが親父と話せる最後になる気がしたので、「一緒に行かないか」と息子達を誘ってみました。予定が何もなかった三男が同行することになりました。
 病室で親父の脈を診ました。胃の気の脈は、僕の指に触れませんでした。覚悟はしていたつもりでしたが、胃の気の脈が触れない親父の脈を診てしまった僕はショックでした。いつもの様に、親父に鍼施術ができませんでした。いや、出来なかったと言うよりも、「もう死んでる」と感じてしまったんだと思います。ちょっとしたパニックだったんだと思います。僕の手が震えていました。
 「父さん、何処か揉もうか。」これだけ言えた僕の声は、やはり震えていたように記憶しています。
    
    
    (つづく)
    
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     断食道場?  6
  
 藪から棒で、べらぼうで、虫のいい彼女の話だったが、彼女達(断食道場スタッフ)がこの患者に、僕の診察をうける理由を、全て正直に、つまり彼女達では診断できない事を話して、その患者さんが自分の意志で僕のところに来院するなら、診てもいい事を僕は電話の彼女に告げてしまった。そう、「告げてしまった」のである。
未だ診ていない患者さんだが、患者の体力を考えたり、彼女と断食道場のスタッフ達の無責任と思える治療態度などを考え、協力したくないなと、数秒前までの僕は考えていたのに、それは、15年前に死んだ親父と僕との最後の会話(親父が死ぬ1週間前だった)を思い出し多瞬間のことだった。
    
 僕の親父は肝硬変(肝臓癌)で15年前に死にました。死ぬ一年前の医師の診断は「余命三ヶ月、良くて半年」でした。それから一年生きました。自力歩行が困難になったのは、死ぬ一ヶ月ぐらい前からでした。そして、入院して二週間後に死にました。酒量は多くはなかったんですが晩酌は欠かした事が無い程度に酒は好きでした。みかん農家だった親父は、自家製のみかんの果実酒が大好きでした。みかん酒は健康に良いんだと信じきっていたように見えました。だからでしょうか、入院してからも消灯後に呑み続けたそうです。もちろん、担当医師や看護師たちには見つからないようにしたつもりのようでした。
  
     (つづく)
   
   
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     断食道場?  5 
    
    
僕がその患者を診ることに、僕には何も問題は無い。が、だ、彼女の働く断食道場はここから800Kmほど離れており、そしてここから500Kmほど離れた所に患者は生活している。新幹線を乗り継ぎ、断食道場の帰りに僕の治療院に立ち寄り、さらに飛行機、列車を乗り継いで帰宅すると言うのである。
彼女の診脈では胃の気の脈がなかったという死脈を現している重病人に、こんなハードな移動をさせてまでも僕に診察をさせたい彼女の思考形態が僕には理解できなかった。そこで、
 「あなたは、僕に何を診て欲しいの?」と彼女に聞いた。
 「私の診脈では胃の気の脈が診られなかったが、それが本当なのか、それと、患者に現在の状態と予後についても話していただきたいんです。」と彼女は答えた。
初めて胃の気の脈を診脈する彼女だから前段の欲求は当然だろう。が、後段の願いは告知を僕にしてくれという事ではないか。
 藪から棒だった。そんな虫のいい話しがあるんか(?)とも思った。自分が手がかけている患者の告知を他人に乞うなんて、これこそべらぼうだよ。
    
      (つづく)
   
   
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    断食道場?   4
    
    
 病苦に悩む患者さんと日々接する鍼師として、また東洋医学者として、当然過ぎるほど当然であるべき脈診中の胃の気の脈を診脈で着ない者への腹立ちから、僕の口調がきついものになっていたんだろう、
 「明日また電話します。」と、彼女は硬い口調で言った後、もっと叱りつけたいという僕の気持ちを察したのか、唐突にかつ一方的に電話を切ってしまった。
 そして翌晩、
 「先生、胃の気の脈が無いんです!」と、開口一番電話のむこうで彼女は言った。
胃の気の脈の診脈法も知らない者の言葉を鵜呑みにするほど、僕は阿呆ではありませんです。
 「うーん、そう。」と答えてから、僕はその患者の状態を再度詳しく電話の彼女に質問した。そして、
 「あなたの診察が正しいとすれば、この人は難しいんじゃないかな。」と、昨晩と同じ嫌味を言った。
だが、この夜の彼女は昨晩とは違っていた。期待はずれの答と嫌味を言われた事に対する不満げな感じの口調ではなく、
 「先生、この人、診て欲しいんです。」と、素直に助けを乞う者の口    調だった。
    (つづく)
   
    
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     断食道場?    3 
   
   
 胃の気の脈について解説しておこう。
この胃の気の脈は、東洋医学にたずさわっている者ならば、当然診脈出来るはずである。また、診脈できなければ東洋医学者とは呼べないくらいに、診察部門における基本事項なのである。
   
それで、この胃の気の脈で我々は何を診察するのかといえば、それは患者の生命力です。つまり、患者の「生死の吉凶」を診るのです。
 この胃の気の脈がなければ、現時点で元気に活動していても、近い将来(明日になるかもしれないし、どんなに頑張ったところで一ヶ月以内)には必ず死亡するでしょう。つまり、この死脈とも言える脈が現れたら一ヶ月以うえは生きて行けないという事です。
逆に言えば、どんな重病人でも、この胃の気の脈があれば一ヶ月以内に死ぬことは無いともいえるのです。
    
 日々の臨床での僕は、この胃の気の脈の強弱によって、その患者さんの苦痛が早く除去されるか、長い時間が必要なのかの診断の一助にしています。胃の気の脈がしっかりしていて力強い人の苦痛は、苦痛が強く激しいものであっても早く取れますし、逆に苦痛がさほど強くないものであっても胃の気の脈に力がなければ、治癒させるのに時間がかかるものなのです。
ですから、この胃の気の脈の診脈は、初診時の患者にたいし、今後の治療計画を話す際の判断材料として、大いに参考になるものなのです。
     
     (つづく)
    
    
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  断食道場?  2
  
   
 その相談の内容は次のようなものだった。
本患者の生命が終わりにちかずいているように思えるのだが、何を以って予後良、予後不良の診断をするのかわからないから、アドバイスをと言う事だった。そこで僕は、
 「実際に患者を診ていないんだから確実なところではないんだけど、あなたの診察を信じて言うんだけどね。」と、のっけから嫌味を言った僕は、こう続けた。
 「まず、胃の気の脈の有無だよね。それに、その患者の下肢の浮腫みだけど、あなたの診察どおり大腿にまで上ってきているんだったら非常に危険な状態だね。僕達の手に負えるものではないんじゃないかな?」と、伝えた。
僕のことばは、彼女が期待していた答ではなかったらしく、彼女は不満げな口調で、
 「先生、胃の気の脈ってどう診たらいいんですか?」
と、質問を続けた。
愕然だった。
 「馬鹿たれっ!!!」と怒鳴りたかった。
胃の気の脈も診脈できない鍼師が、生命を脅かされている重病人を手がけるなんてとんでもないことである。
   
     (つづく)
    
    
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  断食道場?  1
     
 知り合いの鍼灸師から紹介された肝硬変の患者さんが来院した。
診ると、かえるのお腹のようにパンパンに膨れた腹部と、両下肢のむくみは大腿中央部まで広がっていた。危険な症候だ。
    
病歴は、20年前、非A、非B型肝炎を発見、14、5年前にC型肝炎と診断された。その後、インターフェロンを含めた多くの現代医療による 治療を受けた。が、緩慢な進行ではあるが確実に悪化していく病気にたいし焦りを感じ、7年前に民間医療の食事療法を取り入れる。
それによる改善はなかったが、病気の進行が遅くなったとの印象は感じられたそうである。
そして本年7月、実践指導を受けていた食療家から断食道場を紹介された。いや、薦められたのである。
 7月中旬、8月下旬、10月初旬と規定の断食を行ったのであるが、8月上旬から腹水がたまり始め、下肢のむくみが下腿部だけではあったがひどくなってきた。そして、9月中旬頃から、下肢のむくみが大腿部にまで及んできて、腹水もさらに増えてきた。
そのような状態のとき、その断食道場で手伝いをしている知人の鍼灸師から僕は相談を受けた。

   
    
    つづく