私塾「五常」を開港します! 

三月も三十日になって降雪なんて、今年は春が遅いようですね。それでも野原は、春の兆しが芽吹き始めて、バッケを三回も賞味する事が出来ました。皆さんはどうでしたか?すでに賞味されていましたか?
バッケの苦味、風味、いずれも春って感じで、てんぷらに、酢味噌あえに、細かく刻んで味噌汁に、また野菜サラダにして食べると、ついつい酒量が増えてしまってウェイとオーバー気味の僕としては痛し痒しといったところです。
本日は、五常塾の命名の理由をお知らせします。

 **何故五常か?
 五臓色体表の中に五常(仁・義・礼・智・信)があります。
これは、人間が「人」として生きるべき姿、生きるべき道なのだそうです。
 故井上恵理氏の師匠が彼に言った事があったそうです。
 「鍼師は人にならなければいけない。人になってはじめて人を治療する事が出来る。」と。
これを聞いた時の僕は、何処かに行って泣きたいという気持ちでした。常々、欠陥人を自負してはばからなかった僕は、井上恵理氏の師匠が言われる
 「人になりなさい。」は、目から鱗と言いましょうか、熊の目にも涙って言いましょうか、とにかく、はっとしたんです。そして恥ずかしくて、恥ずかしくていたたまれなかったんです。
欠陥人を自負する様な阿呆が人を治療するのは、治療ではない。人を治療するには、まず先に治療家が普通の人で無ければならない。治療とは、ただ鍼を刺せば良いってものではなく、己を磨くものだといっているんだと理解したんです、その時に。
 それでね、いつの日か僕が私塾をかいこうすることがあれば塾名は「五常」としようって、そん時に決めたんだよね。20年も前の話ですよ。

  五常
人の、常に守るべき、仁、義、礼、智、信、の五つの道。

 五行が代表する五種類の事物の正常運動を言う。仁、義、礼、智、信、これが形に現れて五臓となる。(傷寒論解説)

 五常の気、太過しておよばざれば、それ異を発するなり。(素問、六元正紀大論)

  仁
 愛情を他に及ぼすこと。いつくしみ。おもいやり。博愛。慈愛。
 人たる者の、天性、固有の善徳、その発動する、親に施せば孝、君に施せば忠、行うところとして、誠ならざるなきこと。

  義
 道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべきすじみち。

  礼
 人倫の交際に、心に敬い、行儀に則をまもる道。
敬って拝すること。

  智
 物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。

  信
 欺かぬこと。言をたがえぬこと。思い込み疑わぬこと。信用すること。

  【五常塾では、古典鍼灸医術を会得するために学ぶのではなく、
  五条を身に付けんがために古典鍼灸医術を学ぶのである。】

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