「小児の発熱」 その8
僕達は四人の子供を育てました。
長女、長男を育てている頃に、彼等が発熱なんかすると、「おおっ、よっし、俺が治してやるぞ」と内心ほくそえんで、鍼灸治療を行い、学んだばかりの手当法をやっていました。
まあ、それで簡単に治ったこともありましたし、三日も、四日も発熱が続いたりしてヒヤヒヤしたこともありました。
その経験から言えることですが、乳児、幼児の発熱には、そんなに神経質になる必用はないと言うことです。
乳幼児は簡単に発熱します。
そんな時、直ぐに医者様の世話にならず、38.5度ぐらいだったら、額に青物の葉(キャベツとか、白菜とか、レタスとかです)をあて、枕にもそれらの葉物を敷き、様子を見て下さい。
発熱した乳幼児が、元気で、食欲もあって、目に輝きがあり、ひどい下痢もしていなく、機嫌も良いなんて時は、この葉物の手当法で解熱するものです。
この葉物の手当法ですが、次男、三男を育てる頃には経験も多く積んだこともあり、保育園指定の感染症以外の発熱なんかでは、医者様の世話にならずに、この様な手当てと鍼灸治療で育て上げました。
でも、現代医療だけを医療と認識されている方々の目には、この様な方法は、野蛮で無意味な治療と映るかもしれません。
勿論、この手当てや鍼灸治療でどんな発熱にも対処できるものではありません。でも、発熱した乳幼児が、元気で、機嫌が良く、食欲があり、ひどい下痢もしていなく、目の輝きに力があれば、わざわざ医者様の手を煩わせる前に、この様な手当て法を試みるのも良いのではないかと思います。
大人でもそうですが、体調の悪い時に開業医とか病院に出かけ、待合で長く待たせられるのはとても苦痛です。悪い体調がますます悪くなるように感じられるものです。そして、たいしたことも無かった症状が重症化することもあります。で、もしも、上記のような手当法が出来れば、体調不良を重症化させるような事は無いのではないでしょうか。
勿論、乳幼児が高熱を出して、ぐずったり、ひきつけあるいは痙攣を起こしたり、ひどい下痢をしていたり、食欲が無いなどと言う時は、速やかに現代医療の門をたたくべきであります。
八回にわたって掲載しましたが、僕が言いたいのは、ちょっとした事では、そうです、ちょっとした発熱なんかでは薬物を使用しないで、昔から行なわれている手当法、おばあちゃんの知恵なんて言われているもので対処してみるのも、良いのではないかという事であります。
薬物を使用せずに解熱した体調と、薬物を使用して解熱した時の体調は、大きな相違があるのです。勿論、薬物を使用しないで解熱したほうがすっきりと回復することが出来るんです。
まあ、ものは試しです。興味のある方は追試してください。
おわり
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「乳児の発熱」 その7
古典鍼灸術を習いたてで、多くの鍼灸師が陥りがちな誇大妄想的慢心家の僕でも、たった三ヶ月前の病気であれば二度目は失敗いたしません。
鍼灸治療と併用シ、前回同様の野菜での解熱療法を施しました。
ただ今回は、無理な発汗による解熱や耳下の腫れた部分への皮内鍼添付をさけ、長男の身体の治癒力を見守る方法をとりました。
二度目の発熱も40度ぐらいはありましたが長男は元気でした。
そして翌朝には38度前後に解熱しました。この時も、その日の夕食時分には平熱に戻っていました。
ただ、耳下の腫れは、ほとんど変化はなく、むしろ大きくなったようにも見えました。
で、この耳下の腫れですが、発病後四日目辺りからひき始め、全快するまでには一週間ほどがかかりました。
今回も医師の診断書「これは耳下腺炎である。」、「もう耳下腺炎は完治した。」は、保育園に提出しなければなりません。
ですから小児科医を受診しました。三ヶ月前「今回は直りました。」と、奥歯にものが挟まった言い方をし、再発を予言した小児科医です。その小児科医は僕達を記憶していました。
「あらっ、やっぱ、また、かかっちゃったのね。」ですって。
そして彼女(この小児科医は女医様です。)は、沢山の薬を処方してくれました。
で、僕達と言えば、元気で、食欲もあり、機嫌も良い長男には、薬はい一切服用させませんでした。
まあ、当然といえば当然です。誇大妄想にどっぷりと浸かっている僕ですからね。
(つづく)
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「乳児の発熱」 その6
箱バン車の病室での彼には、喉が渇いたら飲むようにと、常温の水の入ったペットボトルを持たせました。
午前の診療を終え長男を診ると、熱はほぼ平熱の37度に下がっていて、さらに驚いたことに耳下の腫れが3分の1程度にすびていたんです。
汗で濡れたパジャマを着換えさせ、午後からは室内でテレビを見たりして、長男は外で遊ばない事を除けば、普段と変わらない午後を過ごしました。
そして、夕食を済ませた後に気づいたんですが、耳下の腫れがほとんどなくなっていたんです。
鍼治療が功を奏したのか、キャベツの葉による解熱が功を奏したのかわからなかったのですが、長男のお多福風邪はすっかり治ったように見えました。
翌日、小児科医の診断を仰ぎに受診したところ、医者様の言うには、
「随分早くよくなりましたね。今回の耳下腺炎は直っていますね。」と、なんとなくひっかかる物言いでした。
何が引っかかるかといいますと、お多福風邪は一度罹患すれば、その人体には抗体が出来二度と発病する事はないはずなのに、小児科医は「今回は直っていますね」と言ったのです。
「今回は」という事は「次回」もあるという事なのでしょうか。
「納得できないな。」と言う感情が表情に出ていたんでしょう、小児科医は続けて言いました。
「こんなに早く直ると、すぐに再発する事例が、多くあるんですよ。」と。
古典鍼灸術を習い始めの、駆け出し鍼灸師にありがちな誇大妄想的自己慢心にどっぷり浸かっていたその頃の僕には、この西洋医の忠告を素直に聞くことが出来ませんでした。
「何言ってんだい。おたふくが再発なんて聞いた事もないぜ。」と多価をくくって、小児科医から全快の診断書をもらいました。
それから三月ほどが過ぎた春たけなわの頃でした。
素直な長男(?)は、西洋医が予言したとおりにお多福風邪を再発してくれました。
(つづく)
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「乳児の発熱」 その5
長男が三歳の頃でした。
彼が通う保育園で急性耳下腺炎(お多福風邪)がはやりました。多くの園児が罹患していくうち、長男は罹患しませんでしたが、お多福風邪が下火になりかけた頃にとうとう彼も罹患してしまいました。
お多福風邪の特徴は高熱と、耳の下の腫脹です。この病気は伝染性ですので、医者の診断書が必要です。
これは確かに急性耳下腺炎であることと、これで急性耳下腺炎が確かに治ったと言う診断書が、保育園に再登園するには必要でありました。
「もう、医者様のお世話にはならない。僕の手で治すんだ。」と決意してはいましたが、世間一般では鍼灸師の診断よりも西洋医の診断が信用されています。
で、やむなく、中途退園したその日のうちに長男を、開業医の診断「これは確かに急性耳下腺炎である。」をいただくために、医者様の診察を受けたのでした。
どのくらいの量の薬を処方されたのか記憶していませんが、僕達はその処方された薬を、長男にはいっさい与えなかったことだけは記憶しています。
無論、僕は鍼治療を長男に施しました。
治療の第一目標は40度前後に上がっていた彼の体温の解熱です。
鍼治療後、額にはキャベツの葉をネットで縛り、枕にもキャベツの葉をしき、彼を寝かせました。
まあ、高熱でしたが、それほど心配しなくても大丈夫だと感じ、医者様の処方薬を服用させることもないだろうと決心したのは、長男が元気だったことと、食欲も旺盛だったからです。
夜半、長男の発汗でぬれたパジャマを(二回ほどだったと記憶していますが)取り換えました。勿論、その都度、しわしわになっていたキャベツの葉も交換しました。
翌朝、40度前後あった熱も38度ほどに解熱しましたが、耳下のLサイズ卵大の腫れはのこっていましたので、その最頂点に皮内鍼を添付して、その日も治療予約が、午前中いっぱい入っていた僕達は、真冬でしたが、晴天の太陽熱を利用して、発汗と保温を兼ね、箱バンの荷台に布団を敷き、臨時の病室として、そこに彼を寝かせました。
この日も元気な長男は、その箱バン車での病室でおとなしくは寝ていませんでした。童謡が流れるらじかせをBGMに、でんぐり返しなんかをして遊んでいました。
(つづく)
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「乳児の発熱」 その4
葉物野菜や豆腐を用いての解熱治療を行なうようになってから気付きました。
二人の子供の発熱頻度が少なくなってきたんです。
駆け出しの僕の鍼灸治療が効いたのか、完ベジの手当法が効いたのか(この判断は皆様にお任せすることとしまして)、とにかく僕自身で子供達を治すんだと決意してからは、発熱ぐらいで医者様の手を煩わすことがなくなりました。(ただ、子供達が成長するにつれ、スポーツ競技中での骨折なんかでは、数回、医者様のお世話になりましたが。)
今振り返って診ても不思議なんですが、あれほど頻繁に発熱をしていた子供達が滅多に発熱しなくなったんです。解熱剤を使用しなくなってから、その使用と反比例するが如く発熱しなくなったんです。
乳幼児の二、三歳なんて頃は、とにかく発熱を頻繁に起こすものです。それが、毎日一緒に暮らしている親がびっくりするほどに丈夫になっていったんです。
(つづく)
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「乳児の発熱」 その3
古典鍼灸術を習い始めた頃、僕は同時にマクロバイオティックの食事をするようになりました。
マクロバイオティックとは、一口で言えば玄米正食(完全ベジタリアン、略して完ベジ)です。
主食は玄米です。副食は全て加熱調理した植物性食品です。それに常備食としてごま塩、金平牛蒡(きんぴらごぼう>、ひじき蓮根があります。
このマクロバイオティックには、料理の食材(野菜オンリー)を使っての、色々な病気の手当法がありました。
乳児ばかりでなく一般成人が発熱した際の手当法もありました。
それは、葉物を使用しての解熱法です。
葉物とは、幅広の葉を持つ食物の葉っぱのことです。
代表的な物としては、レタス、キャベツ、白菜があります。
これ等を枕の上に敷いたり、ひたいに当てたりするんです。38.5度ぐらいまでの発熱にはこの方法を用いて解熱を図ります。
39度以上の発熱には、水切りした豆腐を使用します。無論、ひたいに当てます。
葉物も、豆腐も、どちらも大変気持ちの良いものです。
それまでの鍼治療での解熱には数日、数回の治療を要したものでしたが、この手当法を併用すると、ほとんど一度の治療、一晩で解熱させる事ができました。
(つづく)
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「乳児の発熱」 その2
その頃の僕は、現在行なっている古典鍼灸術の扉をたたいたばかりでした。
古典の鍼灸術を実践する者が全てとは言いませんが、大体においては「鍼灸治療でほとんどの病気が治せる」と考える傾向があります。
それも、その様な誇大妄想家といいましょうか、身の程知らずの自信過剰家になるのは、古典鍼灸術を習い始めのものに多いように見えます。ご多分に漏れず、その頃の僕もそうでした。
で、娘や息子が発熱すると、これ幸い(?)とばかり、鍼灸治療を行なったものでした。
二歳、三歳の子供にだって意識も意志もあるはずです。
そんな彼等が、未だおぼつかない僕の鍼灸術の治療を拒みもせず受けてくれていました。
そうなんです、二歳、三歳なりの意識も意志も持っている彼等は彼等なりに、駆け出しの未だおぼつかないテクニックの持ち主である父ちゃんを信じていたんでしょう、快く(僕にはそのように感じられました)僕の治療を受けてくれました。
それで、当然といえば当然ですが、当然の結果の如く彼等の解熱は一回、二回の治療では成功しませんでした。
(つづく)
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「乳児の発熱」 その1
乳児の発熱があります。
生後七、八ヶ月頃になりますと、一度ぐらいは発熱するものです。しかも、39度、40度の発熱です。
こんな時、たとえ乳児の機嫌がよくて、元気で、食欲も普通どおりにあったとしても、多くの親は医療機関を受診するか、あるいは乳児の発熱を経験している人達は、家庭にある解熱剤などを使用します。発熱している乳児が元気で、機嫌よくて、食欲もあってもです。
39度、40度の熱を出しながらも元気で機嫌もよく、食欲も普通どおりの乳児に対し、解熱だけの目的で薬剤を使用するのが必要なことか、僕には疑問です。
僕たち夫婦は四人の子供を成人させました。子育て中、四人の子供達は何度も熱を出してくれました。
二人目までの子供を育ててる頃には、子供が発熱すると、医療機関を受診したり、前回発熱して医療機関から処方された解熱剤を使用して解熱させていました。医療機関から処方された薬剤を服用、または使用すると、直ちに熱が下がるものでした。
ところが、二、三ヶ月、早いときでは一ヶ月もたたないうちに、また発熱するんです。無論、その都度僕達は、発熱した子供を連れ、医療機関を受診していました。
二番目の子が二歳ぐらいに成った頃でした。
「俺だって鍼灸師じゃないか。自分の子供の発熱ぐらいは、鍼灸治療でなおせなきゃ」と、遅ればせながら、自分も医療人の端くれである事を気付いたのです。
(つづく)