「ンダスケ!なんくるないさ」   最終版

 息子の彼女を含め、四人の一行が翌朝めざしたのは、本島南部の平和記念公園だ.
現在僕達が、個人として生きられるようになってからまだ日が浅い。
僕達個人が個人として生きられるヨウになる以前、多くの人が、個人が個人として生きられない状況の中で、沢山の血を流し、多くの生命を犠牲にした。
個人が個人として生きられる僕達にとって、そのような場所は聖地だと思う。
その聖地巡礼が、今度の旅行の目的の一つだった.

 戦死者の姓名が、出身県別に刻まれている石碑の前に立った僕達は、静岡県出身者の中に同姓を見つけた.
息子が声に出して読んだ。
繰り返して読んだ。
クワア、クワア、クワア。
三度、烏が鳴いた。
名護を出発する時の、やがて雨が降るだろうと予想されるような曇天の空に、二月の太陽が何時の間にか顔を出していた。

 息子がアルバイトで手伝ったことがあるというブルーリー
 ヘリオス
で、昼食をとった。
四人それぞれが異なった種類の料理を注文した。
銘柄の違う三種類の地ビールを呑んだ。
蔵出し地ビールだ。
うまかった。
香りも、味も、活きていた。
ブルーリーでなければ味わえないものだった。
 「けっー、うっめえー!」
魂の感嘆だった。
すると、手が伸びて来た。
 「どれ、味見。」
有無を言わせない寿寿子さんだ。
 「ふむ!おいしい。」
寿寿子さんが言うと、
 「どれ、俺も」
息子がそのグラスを取る。
 「おおっ、やっぱ、いける」
そして、息子が彼女にすすめた。
三度鳴いた烏の声を聞いた為ではないだろうし、
聖地巡礼をした為でもないだろうし、
曇天の空が晴れ、二月の太陽が顔を出したためでもないだろうけど、
この時の地ビールは、食べた料理を忘れてしまうほど、うまかったのだった。
      (おわり)
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「ンダスケ!なんくるないさ」    その 12

 待ち合わせの時間に10分ほど遅れた我々と合流した彼女に、今朝方のカーゴパンツの顛末を、私は控えめに語った。
 「ウワー!見たかったな!」
と、肯定的雰囲気を多分に感じさせる発言をした。
 「僕も、あなたに見て欲しかったんだ」
と、すかさずに言ったが、控えめな小声になってしまうのは仕方がなかった。
無言の息子と寿寿子さん。
 「あははは!」
笑ったのは、私と彼女だけだった。

 30CMほども折り返したGパンをはいた私を含めた4人でのドライブで、最後に立ち寄ったのは地元料理を食べさせる仕舞屋風の小料理屋だった。
野菜を中心の沖縄料理の懐石だった。
そこの女将が我々の席に来て、料理について解説してくれた。
二、三の言葉のやりとりの後、ちょっとの間をおいて、女将が言った。
 「こちら、お姉さん?」
と、息子に尋ねた。
息子はここの女将を知っているらしい。(つまり、なじみって事かな?)
それで、お姉さんと言われた人は?
まさか、息子の彼女ではないよな。
じゃあ、寿寿子さん?
アヘェー!
息子25歳(多分?)、寿寿子さん5x歳、でも、
 「お姉さん?」ってか!
 「えっ、あっ、いや、うん、まあ。」
そのヨウに言われた当人の気持ちを、言われた当人が発した言葉からは推測するのは不可能だった。
おそらく、自分の年齢を弁えている寿寿子さんは、
 お姉さん
の言葉で、
 (私って、まだまだ若いんだ!)
って、誤解をして、嬉しかったんだと思う。
でも、僕は、
 (息子って、そんなに老け顔してんのか!)
と、思っていた。
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「ンダスケ、なんくるないさ」 その11
 初めて会う息子の彼女と本島北部のドライブの待ち合わせが午前10次という朝、
 「そろそろ起きないと、待ち合わせに送れるさねー」
と言う息子の声で、我々が目覚めたのは午前9時を回ってからだった。
 慌ててシャワーを浴び、この日の為に用意したTシャツと、カーゴパンツに着替え、
 「どうだ!カッコいいべ」
と、得意になって、息子の前でポーズした私に向かって発した息子の言葉は、
 「げえっ!何だ、それ?」
肯定的表現とは違うようなので、再度ポーズを決めなおし、
 「カッコイイベよ!」
と、
(解らんか?このハイセンスファッション!)
といった表情で、肯定的感嘆の声を上げなかった息子の前で、駄目押しの得意ポーズを私はとった。
 「おえーっ、なんだいそりゃあ?」
またしても、肯定的表現とは思えぬ息子の発言。
 「見りゃあ解るべよ」
 【何だ?こいつ。ナウイ、ファッション感覚ってものを持ち合わせていないんか】と言った表情で、私。
 「やめてくれよな!彼女に初めて会うんだぜ!」
どうも、本気らしい。怒っている様だ、この私のナウイファッションに。
 「知ってるよ。だから決めたじゃん」
そして、ポーズを決める私。
 「駄目だこりゃあ。おかあさん、何でおとうの服をチェックしなかったんだよ」
声が、裏返っていた。
「まさか、このパンツを持ってくるとは思わなかったのよ」
と、寿寿子さんまでも呆れ顔の声で言う。
二人がかりの誹謗に、
初めて会う息子の彼女に、
 (私が惚れた彼氏は、こんなにナウイファッションを決めちゃう父親の息子だったんだわ。私の選択は、間違ってはいなかったんだわ)
と、息子の彼女が感じてくれるだろうと信じて、得意になっていた私の気持ちがしぼんでいってしまった。
 「そんなに、おかしいかなあ?」
弱気になった私。
 「まるでおかしい」
怒りが治まらぬ息子。
 「てっきりGパンを持ったんだと思っていたからね」
まだ呆れ顔の声の寿寿子さん。
結局、私が二人におし切られたファッションは、30cmほども折り返さなければならないほど長い息子のgパンだった。
 「こっちの方が、おかしいじゃん」
小声で言う、私。
 「あれよりよっぽど良いよ!」
断言する息子。
しゃあないか、なんくるないさ。

「ンダスケ、なんくるないさ」 その10
 先ずは、オリオンビールで、
 「かんぱーい!」(カッチーン)
と、喉を潤してから、いよいよ、北の酒場酒蔵の密造酒・どぶろく「寿寿子(すづこ)」へ。
 「おおー!ウッメエ!」
と、ロン毛・着物・ハグっちゃう息子。
 「いけるべえ」
と、私。
 「これ、自分で作った、てか?・!」(おーっ、郷土なまり)
と、ロン毛・着物・ハグっちゃう息子。
 「そうよ!」
「どうだ!」と言わんばかりに寿寿子さんが言う。
 「『味見だ、味見だ』って、毎日呑んじゃって、残ったのこんだけだから、あとは、あんたが全部呑むと良いよ」
 (ゲッ、こんな楽しい席で暴露するような話じゃあるまいに)
 「んだな。せっかくだんべえで、お言葉に甘えて、そうすんべえか!」
ロン毛・着物・ハグっちゃう息子の郷土なまりがグサッとくる。
 (おお、そうしろよ。せっかく沖縄に来たんだからよ、俺はあわもりとオリオンビール!」
ロン毛で、着物きて、ハグっちゃう息子でも、やっぱ親子。
夕方(沖縄は日没が遅いんだ)7時頃から呑み始めた再会を祝してのささやかな宴会が終了したのは、深夜0次を過ぎていました。

「ンダスケ、なんくるないさ」 その9
 3年ぶりの親子再会を祝うささやかな酒盛りの為に、その夜のテーブルの上を飾った中で、燦然と光り輝誇らしげにタッテイタノハ、
 普通の親をして造り、普通の親として密造酒の運び屋を私達に演じさせた
どぶろく 「寿寿子(すづこ)」
であることは言うまでもありません。
勿論、
 「JUSCO」
で仕入れたグルクンの塩焼きが、どぶろく「寿寿子(すづこ)」の味を高めるのは
 「この、俺なんだ!」
とばかりに、どぶろく「寿寿子(すづこ)」の横に置かれた皿の上に横たわり、いい香りを撒き散らしています。
それに、着物にロン毛の出で立ちで一般大衆の面前でハグをやっちゃうという息子の薦めのツュラガー(勿論、これも「JUSCO」で購入)、
それから、着物にロンけの出で立ちで一般大衆の面前でハグっちゃう息子が、自分は普通の親をしていると信じて密造酒を造ったり、空港ロビーでその密造酒をラッパ呑みする両親のため、手間閑かけて作ってくれたラフテーが、
 「俺だって沖縄の  『うまいもん』だぞー」っとばかりに、
小鉢に盛られて居座っていました。

「ンダスケ、なんくるないさ」 その8
 日本の伝統的ファッションの着物とロン毛(ちょんまげスタイル)という出で立ちで、アメリカン型スキンシッフのハグをやっちゃうという息子の運転で、彼の住む本島北部の町に着いたのは雨模様の夕暮れ時でした。
夕食の材料やら飲み物を買おうと息子が案内したのは、
 JUSCO
でした。
茨城県の下妻にも、岩手県の盛岡にも、沖縄の名護にも
 JUSCO
東西南北、日本を歩くと必ず出くわすのが、
 JUSCO
この JUSCO が誇る豊富な食材の中から、私はグルクンを買った。
今回の(確か4度目になると思う)沖縄訪問で、是非食べてみたい物の一つである。塩焼きで、古酒(くーすー)と共に味わう為に、沖縄の大衆魚の王様グルクンを買ったのでした。
 JUSCO さん、ありがとう!