2005年も残り12時間ほどで終わりですなんて言葉が氾濫している大晦日の土曜日の昼、大雪になるだろうと予測していた天気予報が外れた事を喜びながら飲むブランチの後のコーヒーは格別の味わいがある。
これは、気象庁の観測史上の記録を更新した12月の大雪が予想外の今年は、体中の筋肉がぎしぎしうめいているようで治療室の大掃除はサボっちゃおうかとも思ったが、入り口のドアだけでもと始めた掃除が意外に面白くて結局夜の9時までかかって床の掃除機かけだけを残すまでやってしまった満足感も手伝って、治療予約も気にせずに、朝食(昼食?)を楽しめたためであろう。
「余暇のために働くことを考えたほうがいい」
と、どこかのエッセイストが書いてたけれど、そこまで思考を転換できないにしても、盆、正月の連休は日頃の気ぜわな気分から開放されるだけでも大いにリラックスできる。これも、
「働いているから余暇がある」
と考えている者だからかもしれない。余暇のために働くなんて出来そうもないのは、きっと古いタイプの人間だからかもしれないが、
「生きるために働き、働くから余暇がついて来る」
と考えているから、たまの連休に何もしないでグータラしていても後ろめたさを感じないですむのだと思う。
このグータラ生活は、正月、五月の大型連休、お盆の一年に三回ぐらいが僕のライフスタイルには適している。
働くだけが人生だなんては言わないが、余暇だけが人生ってのも、なんかつまんなそうに思えちゃうのは、やっぱ古いタイプなのかもしれないね。
「人生ってのはな、」と、他人に言うほど人生やってきていないし、
「人生ってのはな、」と、他人に言えるほど人生ってのも考えて生きているわけでもないから、
このまま来年も、そのまた来年も、さらにその先の年も、働きどうしはいやだけど、余暇だらけもいやだから、今の万まで生くだろうなと、一年の締めくくりみたいな事を書くこと事態が、やっぱ古いタイプの人間ってことの証明になるんだろうね。(あっはははは)