Xマスの『夜をぶっとばせ』
昼頃から、雪はやむこともなく降り続いている休日の金曜日の夜、治療院の駐車
場の五度目の雪かきのおかげかあるいは年齢のセイか、僕の全身の筋肉がぎしぎ
し言っている。
昨夜は、次男の彼女を招待しての「冬至祭り」だった。断酒までとはいかないが、
僕にとっては禁酒に近い夜をおくっていた為の反動は見事なものだった。
まず、ビール大瓶一本、ワインをボトル半分ぐらい、それに日本酒三合(これは血
圧のことを考えて、三合でやめたのです)、締めくくりにビールをと申し出たとこ
ろ寿寿子さんに、
「もうやめたほうがいいわよ」
と、きつく言われてしまったので仕方なくお茶を飲むことにしたのだった。
我が家で「冬至」を祝うようになってから16,7年ぐらいになる。そして、こ
れはクリスマスをやらなくなって16,7年になるということである。
そして、それはアメリカインディアンと出会ってから17年になったことを意味
している。
クリスマスを祝わずに冬至を祝うこととアメリカインディアンとの出会いからは、
何の脈絡も見出せないでしょう、皆さんは。
大それた理由などはありませんが、その訳を話したいなあと思っていますが、ま
た、雪が積もってしまってね、雪かきをやらなくてはならないから、この続きは
明日ってことにします。
(つづく)
Xマスの「夜をぶっとばせ!」 その2
静岡県清水市の片田舎の専業農家だった僕の家庭だけではなく、1950年代生ま
れの多くがそうであったように、Xマスにサンタクロースはやって来なかったし、
Xマスプレゼントもなかった。
僕がXマス会なんて洒落たものを体験したのは、中学3年の同級の派手好きな女子
に誘われて出席したのが初めてだった。
そこに集まったのは5、6人で、そのころはまだ一般的ではなかったコカコーラと
煎餅をかじりながらXマスソングのレコードを聞く程度の質素なものだったし、
プレゼント交換なんて考えもつかなかった。
その後、高校生になると、Xマス会なんてまるで縁がなかったし、
「なにょお、Xマス?けっ、餓鬼じゃあるめえし。」
なんていきがり、本音のところはどうだったのか記憶していないが、悪友と安酒
を呑んでくだを巻くぐらいの冴えないXマスの夜を大学時代は送っていた。
失明し、鍼灸学校の寮生活で寿寿子さんと出会ってからも、冬季休校で寮が閉
鎖されるために九戸村に帰省していた寿寿子さんと、清水市に帰省していた僕達
はXマスデートなんてとても、とても、とても不可能だった。
結婚後、4人の子供を授かってからは、どこの家庭でもやるような、ケーキといつ
もより手の込んだ手作り料理、それに子供たちの枕もとにはプレゼントをといっ
たXマスの夜を、10年くらいは何の疑問も抱かずに楽しんでいた。
そして翌朝、
「やっぱ、サンタさんが来てくれたんだ!」
と、プレゼントを抱えて大喜びする子供に、
「お前たちが良い子でいたからね、サンタさんが来てくれたんだよ。」
なんて、今振り返ると魂がひび割れるんじゃないかと思えるようなことを、臆面
もなく言っていた。
いっやあ、づかれる。昨日お、の雪ぐぁきがこたえてんだべな。オラ、もう眠
ぐて眠ぐてたまんねえっす。
すまねえが、この続きはあすたにしてけろ。
そんだ、今夜は戸ずまりをキッツりすねえとわがねえじゃ。サンタさんが入って
来らんねえようにすなくちゃなんねえからな。
んだ、そんだ、そんでええ!
(つづく)
Xマスの「夜をぶっとばせ!」 (その3)
ところが、1988年の冬を迎えてからの僕たち夫婦は、1年余りの時間をかけて話
し合ってきた問題に結論をだそうとしていた。
その結論は、
「Xマスを祝うのはやめにしよう。」
だった。
キリスト教信者でもない僕達がキリストの誕生日を祝うなんて不自然だったし、
経済性だけを優先した商業ベースに乗せられた「祈りの心」のかけらの一つも感じ
られないXマスイベントに踊らされるのは、もう終わりにしようとも考えたし、
「サンタさんは、良い子のところにプレゼントを持っていきますよ」
と言い切る教育者や十字架をシンボルにしている宗教家の声は、25日の朝、それ
ぞれが抱えている事情から、枕もとにプレゼントを発見できなかった普通の子供
の耳にも届いていたはずで、そのプレゼントを発見できなかった子供の心情を考
慮する心のかけらの一つさえも見出せないXマスイベントを一緒に祝う気持ちが
なえていたし、
1987年7月、映画「ホピの予言」を盛岡で自主上映した僕達は、アメリカインディ
アンに魅かれ、活字に残っているところの彼等に関する情報を読んでいくうちに、
絶望的状況といえる現在の彼等の立場に彼等を追いやったお先棒を担いだのが、
十字架をシンボルとした宗教家だったことを知ってからは、Xマスを祝うなんて
インディアンとの友情に対する裏切り行為のように思ってしまったのだった。
(つづく)
すんません、雪がまた積もり始めました。雪かきタイムです。続きは今日中に
書きますから、ちょっと待っててね。
そんじゃ、また。
Xマスの「夜をぶっとばせ!」 (その3.の、つづき)
それまで祝っていたXマスをパタッとやめてしまうのは、なんだか阿呆みたいで奇人変人の類のように思えたので、それに変わるものがないかと僕たちは考えた。
思いついたのは「冬至祭り」だった。
僕達は家族パーティーが大好きだった(いゃ、僕だけがそうだったのかもしれない)。家族の誕生パーティーはもちろんのこと、正月に始まり、小正月、節分、涅槃会、雛祭り、春のお彼岸、花祭り、etc.それにぢもとの御祭が加わり一ヶ月に3,4回の家族パーティーをこなしていた。
もちろん冬至パーティーもやっていた。
そこで、Xマスに近い冬至パーティーをXマスに合体させようと考えたのである。
かぼちゃを食べてゆず湯につかるだけが冬至ではなく、この日は粗線の御霊を祭ることも冬至のお祝いの目的の一つであるのだ。
どこの宗教も信仰していないのに、わざわざキリストの生誕を祝うなんてなんだかうさんくさいし、それなら粗線の御霊を祭るほうがよっぽど人間ぽくって感じがいいと思った僕達は、Xマスパーティーをやめ冬至パーティーをやることにしたのだった。
寿寿子さんはパンプキンパイを焼き、かぼちゃ粉末を混入させた生クリームでケーキを作った。ゆず湯にも入ったし、
「ご先祖様からだよ」
と言って、子供達えはプレゼントも手渡した。
こんな事で、種々の事情でプレゼントをもらえない子供達の心が癒されるとか、アメリカインディアンえの友情が守られるなんて思わないが、好きでもない、いや、はっきり言おう、
嫌いな宗教の御祭イベントに踊らされずに済むということだけでも心が洗われるように気持ちが良かったことは確かなことだった。
それが証拠に、我が家の「冬至祭り」は今年も行われました。
(おわり)”
※投稿日時が不明の記事があるため、ひとまとめにしました。